- 企画書が初めて通らない本当の理由——「アイデアが悪い」だけじゃなかった
- 差し戻しを4回受けた私が、具体的に何を直して企画を通したか
- 企画職1年目がきついと感じる3つの構造的な理由と、乗り越え方
- エンジニア経験が企画提案で「武器」になったメカニズム(再現可能)
- 初めての企画書提出前に知っておくべき「社内承認の通し方」の実態
- 企画が世の中に出た日——前職では絶対に味わえなかった感覚の正体
「企画書を初めて提出する前の夜、正直に言うと眠れなかった。」
40代で、エンジニア管理職から企画職に転職して約9ヶ月が経っていた。 設計者として長年「企画側の夢物語」を後工程から眺めてきた私が、今度は自分で企画書を作り、上司に提出する立場になっていた。
怖かった。
「これは現実的じゃない」と一言で終わる可能性。
「エンジニア出身だからしょうがない」と思われる可能性。
頑張って作った企画書が、あっさりボツになる可能性。
結果から言うと、その企画書は4回差し戻しを受けた。 市場データが足りない。競合との差別化が弱い。コストと価値のバランスが合っていない——。 一つひとつの指摘に対して、データを集め直し、論理を組み直し、また提出する。 それを繰り返して、約1年後にようやく承認が下りた。
この記事では、企画書が初めて通らなかった本当の理由と、通るまでに実際にやったことを正直に書く。 「企画書が通らない」「初めての提案が不安」「企画職がきつい」と感じている人に、当事者の実録として届けたい。
競合サイトには「企画書の書き方フレームワーク」が並ぶ。 でも誰も「差し戻された時、実際に何を直したか」を一人称で書いていない。 だからここに書く。
パーソル総合研究所の調査によれば、企画職・マーケティング職の転職後1年以内の離職率は他職種より高く、その主な理由として「企画が通らないことによるモチベーション低下」が上位に挙がる。
また、東洋経済オンラインの調査では、「企画が通らない理由」として「根拠・具体的施策が弱い(57%)」「アイデアへのこだわりが強すぎる(34%)」「タイミングが合っていない(29%)」が上位3位を占めた。
企画が通らないのは「センスの問題」ではなく、「構造的な問題」である場合がほとんどだ。
初めての企画書提出——転職1年目の現実
転職してから9ヶ月が経った頃、上司から「そろそろ自分で企画を出してみるか」と言われた。 その言葉が嬉しかったのと同時に、どっと重さが来た。
企画のテーマは「ドライブ中の家族の時間をどう変えるか」だった。 車載エンターテインメントに関する企画で、テーマ選びは比較的自由だった。
テーマを選んだ起点は、転職活動中に家族に心配をかけた経験だった。 子どもに「大丈夫?」と言われた夜のことが頭にあり、「働く父親が家族との時間を豊かにできる企画をしたい」という思いが生まれていた。 その思いが、最初の企画のテーマになった。 (この話はD-4「子どもに『大丈夫?』と言われた夜のこと」に詳しく書いた。)
それまでの車載エンターテインメントは、「移動中の暇つぶし」として設計されていることが多かった。 後部座席の同乗者が映像を楽しむ。運転者は運転に集中する。二つは切り離されていた。
私が立てたのは、その分断を埋める企画だった。同乗者は映像で楽しむ。運転者は音声だけで参加できる。同じコンテンツを、それぞれの立場で楽しめる仕組みだ。
初めての企画書提出 / 提出前夜
企画書を何度も読み直していた。「これで大丈夫か」と自問しながら、でも「大丈夫じゃないかもしれない」という感覚もあった。
前職ではいつも「企画側が通してきた仕様」を受け取る立場だった。今は、自分が通す側だ。
翌朝、上司に提出した。その日の夕方、「データが少し足りない。一度持ち帰って」と言われた。1回目の差し戻しだった。
「企画職は企画を立てれば仕事が終わり」だと思っていた。 実際はまったく違った。企画を社内で承認してもらうまでに、何度も差し戻しがあった。
企画書が通らない理由——差し戻し4回で気づいたこと
私が受けた差し戻しは4回。それぞれに具体的な理由があった。 一言で「企画が通らない」と言っても、その理由は一つではない。 自分が受けた差し戻し理由を整理してみると、構造的なパターンが見えてきた。
「この機能を欲しいと思う人がどのくらいいるか、根拠がない」と言われた。自分の感覚で「これは絶対に需要がある」と思っていたが、それを裏付けるデータがなかった。定性的な感覚と定量的な根拠は別物だと、このとき初めて実感した。
「競合他社はすでに似たような機能を持っている。何が違うのか」と指摘された。自分では差別化ポイントを理解していたつもりだったが、企画書の上でそれが明示されていなかった。「わかってもらえる」という甘えがあった。
「この開発コストに対して、どのくらいのリターンを想定しているか」を問われた。良い企画かどうかではなく、「投資対効果として通せるか」を意思決定者は見ている。この視点が最初の企画書には完全に欠けていた。
「設計・実装でどのくらいの工数がかかるか、試算はあるか」と聞かれた。これはエンジニア出身の私が最も得意にすべき部分だったのに、なぜか抜けていた。自分の強みを使い切っていなかった。
差し戻し3回目に書いたメモ
企画を立てることより、企画を通すことの方がずっと難しい。前職の設計者時代、企画が「夢物語だ」と感じることが多かった。でも企画側から見ると、通すための論理を積み上げる作業がこれだけある。
夢物語になる理由が、少しわかった気がする。設計者がいかにすごい量の指摘を返しても、それを全部埋めていくことの難しさを、今は理解できる。
競合サイトが書かない「企画書が通らない本当の理由」
ネットには「企画書が通らない理由」として「データ不足」「差別化が弱い」という正論が並ぶ。 それは正しい。でも実際にやってみてわかったのは、もっと根本的な問題があったということだ。
よく言われる「通らない理由」
- データが少ない
- 差別化が弱い
- コスト試算がない
- プレゼンが下手
- タイミングが悪い
本当の問題(私の場合)
- 「誰が承認するか」を考えていなかった
- 承認者の「不安」を消せていなかった
- 自分の強みを使い切っていなかった
- 「通ってほしい」が「通せる」になっていなかった
- 企画の「熱量」と「根拠」がバラバラだった
企画を承認するのは「上司・役員・決裁者」だ。 彼らが一番恐れているのは、「この企画を通したことで自分が責任を取らされること」だ。 だから企画書は「良いアイデアを伝える文書」ではなく、「承認者が安心してYESと言えるよう、リスクをゼロに見せる文書」でなければならない。 これは差し戻しを繰り返す中で、じわじわと理解していったことだ。
企画を通すために、私が実際にやったこと
差し戻しを受けるたびに、落ち込んだ。でも「なぜ通らなかったのか」を分析することをやめなかった。 競合他社との比較ではなく、「この承認者は何を不安に思っているのか」という視点で企画書を見直していった。
「需要があると思う」を「需要があると示せる」に変えるために、社内の顧客データや既存調査をかき集めた。数字が少ない部分は、社内でのアンケート実施を提案し、小規模でも一次データを作った。感覚ではなくデータで話す習慣はエンジニア時代に身についていたが、企画の場で使うことを意識していなかった。
エンジニア出身の強みをここで初めて意識的に使った。「この機能を実装するには○○工程、○○週間かかる」という試算を、設計者時代の経験をもとに自分で出した。同僚から「根拠が具体的だ」と言われるようになったのは、この試算を加えてからだ。企画職にいる人間が後工程の工数を出せることは、稀らしい。
最初の企画書は、良い面しか書いていなかった。これが逆効果だった。想定されるリスク(コスト超過・ユーザー離脱・技術的困難)を自分から提示し、その上で「だからこの対策を講じる」という流れにした。リスクを隠すと承認者は不安になる。提示することで、むしろ安心させられる。
「良い企画か」ではなく「なぜ今この企画か」を問われることがある。市場のトレンド(ファミリー向けコンテンツ需要の増加)、競合の動向、社内リソースの空き状況——これらを組み合わせて「今がこの企画を通すタイミングだ」という論拠を加えた。
「企画は通るまでが仕事。通った瞬間に、やっと仕事が始まる。」
4回の差し戻しを経て、5回目の提出で承認が下りた。 転職してから約1年が経っていた。 承認された時、「嬉しい」よりも先に「安堵」が来た。 やっとスタートラインに立てた、という感覚だった。
企画書が初めて通らない人に伝えたいのは、「アイデアが悪いわけではない」ということだ。企画が通らない理由の多くは「承認者の不安を消せていないこと」にある。アイデアを磨くより先に、「誰がどの基準でYESと言うか」を分析する方が、通る確率は上がる。
企画職1年目がきつい——3つの構造的な理由
「企画職はきつい」と感じている人は多い。 私も感じた。でも「何がきつかったのか」を分析すると、構造的な理由が見えてきた。 知っておくだけで、心の準備が変わると思うので書く。
企画から製品発売まで、私の場合は約1年かかった。その間、「自分は役に立っているのか」という感覚が薄い時期がある。設計者時代は仕様書という「成果物」が毎月あったが、企画職は承認が下りるまで何も「形」がない。この「手応えのない期間」が、きつさの一つだ。
前職ではプロセスや調整力も評価されていた。企画職では「企画が通ったか」「製品が売れたか」という結果だけが問われる。努力が評価されない環境に適応するのは、精神的に消耗する。この記事では、この評価環境にどう適応したかを書いた。
企画が通ったら終わりではない。設計・開発・広告・営業——それぞれの部門と調整しながら製品化まで伴走する必要がある。他部門の機嫌を損ねずに、でも必要な変更を通す交渉力が求められる。これは「企画を立てる仕事」だと思っていたイメージとの大きなギャップだ。
これらのきつさは、「企画職に向いていない」サインではない。 企画職という仕事の構造から来るもので、誰もが通る壁だ。 事前に知っていれば「自分だけがきついわけではない」と思える。 それだけで、踏ん張れる力が違う。
エンジニア経験が、企画提案で武器になった理由
転職する前、「エンジニア経験は企画職では役に立たないのではないか」と不安だった。 でも実際には逆だった。エンジニア経験は、企画職での差別化の最大の武器になった。
なぜ企画職にいる人たちの企画が「夢物語」になりやすいか——それは後工程を知らないからだ。 開発に何週間かかるか。技術的に実現可能か。コストはどの程度か。 企画職のほとんどは、これらを「設計・開発の人に聞いてみないとわからない」と答える。
私はエンジニアとして設計から実装、評価まで一通りを経験していた。 だから自分の企画が「実現可能かどうか」を自分で試算できた。 これは企画職にずっといる人との決定的な差別化になった。
典型的な企画職の提案
「この機能を作れば売れると思います。開発の工数は設計チームに確認してください。」
エンジニア出身の私の提案
「この機能の実装工数は○週間、コストは○万円程度と試算します。既存のモジュールを流用すれば○割削減できます。」
また、設計者とのコミュニケーションで共通言語が使えることも大きかった。 「UMLのステートマシン図で見せてもらえるか」「この部分は非同期処理の方が良いのでは」—— こういった会話ができることで、設計チームとの信頼関係が早く築けた。
これは「エンジニアから企画職への転職」を考えている人に伝えたいことでもある。 エンジニア経験は捨てるものではない。企画職における最大の武器になりうる。 (この点はエンジニアから企画職に転職できた、本当の理由でも詳しく書いた。)
企画が世の中に出た日——発売日の朝のこと
転職してから、約1年が経っていた。
その日、私が担当した企画が製品として発売された。 入社以来、初めて自分が立案した企画が、実際の製品として世の中に出た日だ。 大きなニュースになるような製品ではない。でもその日のことは、今でも鮮明に覚えている。
発売日の朝
いつもと同じように出社した。特別な式典があるわけでもない。チームのメンバーが「おめでとうございます」と声をかけてくれた。それだけだった。
でも昼休みに一人でスマートフォンを開いて、発売された製品のページを見た時、何かがこみあげてきた。うまく言葉にできないが、「安心感」と「嬉しさ」が同時に来た感じだった。
これが、自分が作ったものだ。と、思った。
発売日の夜、帰宅してから家族に話した。「今日、自分が作った製品が売り出された」と。
妻は「よかったね」と言った。子どもは「どんなの?」と聞いてきた。 スマートフォンで製品のページを見せると、「ふーん」と言った。それだけだった。
でも私にとっては、その「ふーん」が嬉しかった。 前職では、自分が作ったものを家族に見せることができなかった。 仕様書を作る仕事は、製品になるまでに何十人もの手が入る。 「これは自分が作った」と言える感覚が、ほとんどなかった。
前職(設計者・管理職)
仕様書を作る。でも製品になるまでに何十人もの手が入る。「これは自分が作った」という感覚が持てない。一日の終わりに「今日、自分は何を作ったか」と問うと、答えが出ない。
転職後(企画職)
企画を立てる。承認を取る。製品になって世の中に出る。「これは自分が起点だった」という感覚が持てる。子どもに「これ、パパが作ったやつだよ」と言える。
この違いは、転職前には想像していなかった。 「企画職がやりたい」という気持ちはあったが、 「作ったものを家族に見せられる」という感覚まで想像していなかった。 転職して良かったことの中で、これが一番想定外の喜びだった。
「企画職は結果が全て」——想定外だったドライな現実
企画が世の中に出た喜びの裏に、もう一つの現実があった。
企画職は、結果で評価される。プロセスや努力は、あまり関係ない。 企画が通らなければ、どれだけ時間をかけても評価されない。 企画が通っても、売れなければ次の企画の承認が難しくなる。
前職では「プロセスや調整も評価される」環境だった。企画職に来て、はじめて「結果だけが問われるプロの世界」に入った感覚があった。
これは想定外だったわけではない。でも実際に身を置いてみると、その重さが違った。転職直後の1年間は、この重さに慣れることに多くのエネルギーを使った。
それでも、結果が問われる環境の方が、私には合っていた。「何をやっても評価されない管理職」より、「結果が出れば評価される企画職」の方が、ずっとやりがいがあった。
もし「企画職はきつい」と感じているなら、それは「仕事に向いていない」サインではない。 「プロの世界に入った」というサインだ。 きつさと向き合いながら続けることで、4年後に年収1,300万円という形で結果が出た。 この4年間でやったことは年収1,000万から1,300万になった4年間に書いた。
転職前の自分に一つだけ伝えるとしたら
転職を迷っていた3年間、私は「転職後にうまくいくかどうか」を不安に思っていた。 年収が下がるかもしれない。新しい環境に馴染めないかもしれない。 企画職として通用しないかもしれない。
でも転職後1年で、初めての企画書が差し戻しを4回受けながら通った。 その日の夜、子どもに「これ、パパが作ったやつだよ」と言えた。
転職前の自分に一つだけ伝えるとしたら、こう言う。
「3年間迷ったことは無駄ではない。でも3年早く動いていれば、もう3年分の『作ったものを見せられる日』があった。」
動かないことにもコストがかかる。時間だけは、確実に取り戻せない。
企画書が初めて通らないのは当たり前だ。それは失敗ではなく、最初の差し戻しだ。差し戻しを受けるたびに「なぜ通らなかったか」を分析すれば、必ず通る日が来る。企画を出し続けることが、企画職として成長する唯一の方法だと、今は思っている。
転職を迷っているあなたに、この記事が少しでも参考になれば嬉しい。 うまくいくかどうかは、やってみなければわからない。 でも、やらなければ確実にわからないままだ。
転職活動の準備として「できること100個」の自己分析がどう機能したかは、できること100個を書き出したら、エージェントが変わった話に書いた。
よくある質問(FAQ)
私が転職活動で使ったリクルートエージェントは、40代・未経験職種への転職にも丁寧に対応してくれた。「企画職への転職は難しいのでは」という不安も、担当者と話すことで現実的な道筋が見えてきた。まず話を聞いてもらうだけでも、自分の現在地が見えてくる。登録・相談は無料。
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