- 上司が「好きな仕事だけ」を抱える構造がどう生まれるか
- 「丸投げ」と「任せる」の違い——成果の帰属から見えてくること
- 管理業務だけが積み重なるとき、管理職に何が起きるか
- 「上司への相談」が機能しなかった日に何かが変わった話
- この構造から抜け出すために転職という選択肢がどう機能したか
管理職になって2年が経った頃、私はある事実に気づいた。上司の仕事と私の仕事を比べたとき、明らかなパターンがあった。
上司がやっている仕事は、常に「面白そうな仕事」だった。新機能のコンセプト検討、外部ベンダーとのクリエイティブなやり取り、経営層へのプレゼン——これらは上司が自分で抱えていた。一方で、スケジュール管理、部門間の調整、問い合わせ対応、レポートのとりまとめ——これらは私に回ってきた。
SCENE — 仕分けの瞬間
ある日の朝、上司から「これ、よろしく」とメッセージが届いた。添付されていたのは、3つの部門にまたがる調整タスクの依頼だった。内容を見ると、4つの会議のセッティング、資料のとりまとめ、合意確認——すべて私がやることになっていた。
同じ日の午後、上司は外部の企画会社とのミーティングに出かけた。帰ってきた上司は「面白いアイデアが出た」と嬉しそうに話していた。
私はその日も夜の21時まで残業した。調整タスクをすべて終わらせるために。
この「仕分け」は意図的なものだったのか、無意識だったのか——今でもわからない。ただ結果として、上司のカレンダーには「やりたいこと」が並び、私のカレンダーには「やらなければいけないこと」が並ぶ構造ができていた。
「丸投げ」と「任せる」はどこが違うのか
管理職として部下に仕事を任せることは当然ある。「任せる」こと自体は問題ではない。問題は「任せる」と「丸投げ」の違いだ。
「任せる」の場合
目的を共有した上で、判断の基準を示す。進捗を確認し、困ったら相談できる環境を作る。成果が出たら、担当者の手柄として評価される。
「丸投げ」の場合
目的も基準も示さず、「よろしく」だけで終わる。困っても相談しにくい。成果が出たときは上司の手柄になり、失敗したときは担当者の責任になる。
私の上司は後者だった。「よろしく」と言った後は、基本的に何も関与しなかった。質問しても「自分で考えて」と返ってくる。そこまでは「自主性を尊重している」と解釈できる。問題は、成果が出たときの扱いだった。
SCENE — 成果の帰属
3ヶ月かけて取り組んだ部門横断プロジェクトが完了した。4つの部門を調整し、スケジュールを引き直し、最終的に経営層への報告までまとめた。そのすべてを私がやった。
経営層への報告の場で、上司が説明した。「このプロジェクトでは、私のチームで〇〇を達成しました」。私の名前は一度も出てこなかった。
「自分で考えてやれ」と言われ、実際にすべてやった。でも成果は「上司のチームの成果」として語られる。これが「丸投げ」の本質だと思う。責任だけが移譲され、評価は移譲されない。
管理業務だけが積み重なるとき、何が失われるか
「面白くない仕事だけが来る」状態が続くと、何が起きるか。私の経験から言うと、最初は「こなせる範囲」でも、少しずつ積み重なって、あるとき一気に崩れる感覚がある。
「向いている仕事をしている」という実感が消える
管理職になったのは、それなりの実績があったからだ。
技術力も、コミュニケーション力も、周囲から認められていた。でも調整業務だけが増えていくと、「自分の強みはどこにあるのか」という感覚が曖昧になっていく。「私はこれがやりたくて管理職になったのか」という問いが頭を離れなくなった。
「自分の意見」を出す場がなくなる
調整業務は「決まったことを実行する」仕事だ。自分のアイデアを出す余地はない。
上から決まったことを下に伝え、下の意見を上に上げるだけ。私はもともと「お客様の立場から考えた企画」に興味があった。でも管理業務をこなすだけでは、その能力を発揮する場がなかった。
改善を提案しても「合意済みの内容だから」で止められる
「この進め方はもっとこうした方がいい」と思っても、「もう上で合意しているから」と言われて終わる。
自分の意見が一切通らないまま、決まったことを実行するだけの存在になっていく。このループが続くと、やがて改善案を考えること自体をやめてしまう。
INNER VOICE — ある夜の自問
「私はこのまま、管理するだけの管理職として社会人人生を終えるのか」
技術を学んだ。設計をやってきた。プログラミングもした。特許も10件以上出した。それなのに今の仕事に、それらは何も関係ない。
「このままでいいのか」という問いに、「いい」と答えられる日が来なかった。
上司に相談した日——「もっと頑張れば」の正体
ある日、意を決して上司に相談した。「もっと企画に近い仕事がしたい」「自分の意見を活かせる仕事をやりたい」という思いを、できる限り丁重に伝えた。
上司の答えはこうだった。
「もっと頑張れば、きっと自分の好きなこともできるようになる」
期限はなかった。具体的な条件もなかった。「もっと頑張れば」——それだけだった。
帰り道、私はこの言葉を何度も反芻した。「もっと頑張れば」とは、どういう意味か。今の頑張りが足りないのか。何をどれだけ頑張れば「自分の好きなこと」ができるのか。その答えは何も示されなかった。
後になってわかったのだが、あの言葉は「問題先送り」だった。
「もっと頑張れば」には答えがない。達成条件が定義されていないから、いつまでも「まだ頑張りが足りない」と言い続けられる。そして問題は永遠に解決されない。あの言葉を聞いた瞬間に、私は何かが吹っ切れた気がした。この会社では変わらないという確信が、静かに固まった。
この構造は「自分の問題」ではなかった
長い間、私は「自分の努力が足りないから、やりたい仕事が来ないのだ」と思っていた。もっと成果を出せば、もっと認められれば、やりたい仕事が回ってくる——そう信じていた。
でも転職後に気づいたのは、あの構造は「個人の努力で変えられるものではなかった」ということだ。上司が好きな仕事を自分で抱え、管理業務を部下に回す——これは上司の行動パターンであり、組織の文化だった。個人がどれだけ頑張っても、その構造自体は変わらない。
「もっと頑張れば変わる」と言い続けることで、構造の問題を個人の努力の問題にすり替える——これは組織にとって都合のいい論法だ。当時の私はそれに気づけなかった。
転職後、「自分で決める」仕事に変わったこと
転職後の職場では、仕事の性質が根本的に変わった。企画職として「自分で考えて、提案して、動かす」というサイクルが生まれた。
最初は戸惑いもあった。「自分で決めていい」という環境に慣れていなかったからだ。長年「決まったことを実行する」仕事をしてきた習慣が、すぐには抜けなかった。
転職前
上から来た企画を実現する方法を考えるだけ。自分の意見を入れる余地がない。成果は上司や前工程の評価になる。
転職後
自分でお客様のニーズを分析し、企画を立て、提案する。成果は自分の評価になる。失敗も自分で責任を取る。
転職後4年で年収は1,300万円になった。管理職オファーも来たが、断った。「自分で企画を出す」という仕事から離れたくなかったからだ。この選択軸は、前職の「丸投げ上司」との時間があったからこそ、はっきりと持てたものだと思っている。
よくある質問(FAQ)
「自分で決める仕事がしたい」という思いは、転職の立派な軸になる。まずエージェントに相談することで、その軸に合う求人を見つけやすくなる。登録だけなら無料だ。
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